藤田嗣治さんの面影を求めて1〜Reims大聖堂編〜
もう2ヶ月も前のことですが、私がフランスを訪れた大きな目的は、画家の藤田嗣治さんが晩年に手掛けた礼拝堂をこの目で観ることでした。
フランスで認められ、晩年にフランス国籍を取得し、フランスで亡くなった彼。
日本での評価は批判的なものが多く、複雑な気持ちを味わうことの多かった彼は、いつしか日本そのものから距離を置くようになりました。
彼が亡くなってから、その意思を引き継いだ君代夫人は、日本のマスコミに対して心を開くことを長いあいだ拒否し続け、彼の作品を守り続けました。
そんな経緯があったことが要因なのか、私が彼の存在を知ったのは、4年前のフランス滞在時に訪れていたヴォルビックでのこと、フランス人から教えて貰ったのです。
「フジタの絵は素晴らしい、小さな猫の絵がこの町の美術館にもあるよ」
そうして観に行った美術館で出逢った日本画のような美しい猫の絵は、
繊細で柔らかな毛並みと優しい表情で描かれ、私を魅了しました。
その後、札幌の近代美術館で藤田氏の大きな展覧会が開かれたことをきっかけに、彼の作品の魅力、そして絵に対する真っ直ぐな思いと生き方、そして精神性に更に惹かれていったのでした。
藤田さんが手掛けた礼拝堂はシャンパーニュ地方にある、Reims(ランス)という街にあります。
1955年にフランス国籍を取得した藤田夫妻は、1959年にこの街で洗礼を受け、カトリックへ改宗しました。
生涯彼が敬愛したレオナルド・ダ・ヴィンチの名にちなんで、「レオナール・フジタ」という新しい名前をこの大聖堂で授かったそうです。
美しいステンドグラスがたくさん。
シャガールのステンドグラスもあります。
大聖堂の中にあったこの像に魅せられました。
何枚撮っても上手く撮れず、パネルを撮影。
この表情の美しさ、ジャンヌ・ダルクだそうです。
この街はジャンヌ・ダルクにもまつわる地だそうです。
<つづく>
フランスで認められ、晩年にフランス国籍を取得し、フランスで亡くなった彼。
日本での評価は批判的なものが多く、複雑な気持ちを味わうことの多かった彼は、いつしか日本そのものから距離を置くようになりました。
彼が亡くなってから、その意思を引き継いだ君代夫人は、日本のマスコミに対して心を開くことを長いあいだ拒否し続け、彼の作品を守り続けました。
そんな経緯があったことが要因なのか、私が彼の存在を知ったのは、4年前のフランス滞在時に訪れていたヴォルビックでのこと、フランス人から教えて貰ったのです。
「フジタの絵は素晴らしい、小さな猫の絵がこの町の美術館にもあるよ」
そうして観に行った美術館で出逢った日本画のような美しい猫の絵は、
繊細で柔らかな毛並みと優しい表情で描かれ、私を魅了しました。
その後、札幌の近代美術館で藤田氏の大きな展覧会が開かれたことをきっかけに、彼の作品の魅力、そして絵に対する真っ直ぐな思いと生き方、そして精神性に更に惹かれていったのでした。
藤田さんが手掛けた礼拝堂はシャンパーニュ地方にある、Reims(ランス)という街にあります。
1955年にフランス国籍を取得した藤田夫妻は、1959年にこの街で洗礼を受け、カトリックへ改宗しました。
生涯彼が敬愛したレオナルド・ダ・ヴィンチの名にちなんで、「レオナール・フジタ」という新しい名前をこの大聖堂で授かったそうです。
美しいステンドグラスがたくさん。
シャガールのステンドグラスもあります。
大聖堂の中にあったこの像に魅せられました。
何枚撮っても上手く撮れず、パネルを撮影。
この表情の美しさ、ジャンヌ・ダルクだそうです。
この街はジャンヌ・ダルクにもまつわる地だそうです。
<つづく>
by maruyashinobu
| 2010-07-31 18:53